明智光秀ゆかりの地

福知山

御霊神社

本能寺の変から100年以上も後の宝永2年(1705)に、当時の福知山城主・朽木稙昌は、領民の願いを受け、御霊神社を創建しました。 丹波の地を統治し、宅地税の一種である地子銭を免除するなど善政を布いたことで領民から慕われた光秀は、本能寺の変の後、山崎の戦いで豊臣秀吉に敗北。坂本城を目指して落ち延びる途中で落ち武者狩りで深手を負い落命しました。 この神社は「災害は非業の死を遂げた人物の怨霊による仕業であり、その恨みを鎮めるためその霊を祀る」という御霊(信仰)のもと、町の発展に貢献した光秀を主祭神である宇賀御霊大神(うがのみたまのおおかみ)とともに祀っています。 御霊神社に所蔵されている「家中軍法」は光秀が定めたとされる、軍団の規律や軍役の基準を記した全18条からなる軍法です。軍の管理・統制を目的としたルールは、当時の織田家中には存在せず、先進的なものでした。自身を軍団長まで引き上げた信長への感謝と敬意が込められたものでしたが、制定の一年後、本能寺で信長を討つことになりました。 現在御霊神社では、光秀の家紋である桔梗紋をあしらった御朱印を販売しています。

住所 福知山市西中ノ町238
アクセス 福知山駅から徒歩10分